「22歳の頃」 大阪から東京へ引越し
東京で面接を無事に終えて大阪に戻りました。
それから数ヶ月後に東京へ引っ越すんですが、まず部屋を決めなければいけない。
それで再度引越しのちょっと前に東京へ
もちろん全然土地勘のない私。
何もわからず、何軒かの不動産屋さんを周りました。
机の上で、デーンと広がった電車の地図。
もちろん新宿から近いところは高い。
この辺りなら、快速もあるしそんなには時間がかからないですよって言われて決めたのが
「立川」、確か高松町3丁目の「TOP立川第2」ってマンションでした。
まだあるんだろうか?
そこが東京での生活のスタートとなりました。
後から分かったのですが、私が出勤する早い時間帯は快速がなくて「各駅停車」だけ。
5時5分発だったと思います。
毎日、立川から新宿まで約1時間でした。
でもあの電車の地図を見てる時は近いような気がしてました。
不思議なもんです。
通勤に一時間。
遠いなって思っていたら、職場には通勤に2時間半みたいな人もいました。
都会では、通勤に一時間は普通なんだろうと思いました。
今はお店の2階の片隅に住んでいるので、通勤時間は数秒(笑)です。
面接の時に、仕事はどこまで出来るか?と問われた時に。
全部できます。と言ったのを覚えています。
本当に一通りはできましたが、できたと言っても2年半程度。
まだまだ全然な事は百も承知。
でも、やり出してから頑張ってどんどん吸収しようと思っていたので「全部出来ます」って言ったんだと思います。
グロリエッテの製造室は地下一階、面接の日に案内してもらう時にシェフが一言、「製造は地下なんだよな」と言われていました。
しかも強引に作ったような所で、仕上げ室は床に排水がなくて最後の掃除は水を撒いて拭き取る感じでした。
それでも、私にはそんな事は関係なくてここで働ける。
それだけで最高でした。
初出勤の日。私の初めのセクションは「焼成室」という事になりました。
「焼成室」と言うのは、オーブンやミキサーがあって文字どうりスポンジケーキなどの焼き物をやる所です。
その「焼成室」には既に担当者が2名いました、一人は私と同じくらいの年齢の人ともう一人はだいぶ年上の人でした。
なぜかそこで私は既にいた同じくらいの年齢の人の上という立場でそこへ入りました。
心の中で私は。
「絶対この人の方が仕事できるよな」
「一通りの事は出来ます。なんて大きな事を言ったし相当頑張んなきゃ」
とにかく頑張ろうと思いました。
こうして、新宿でのパティシエの修行が始まりました。
22才の頃です。